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NHKスペシャル「大アマゾン最後のイゾラド」感想 人類史の重大な転機は誰にも気がつかぬままやってくる

日常
NHKスペシャル大アマゾンシリーズ、最後の第4章『イゾラド』

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流石、NHK。そう思える、最終章であった。

 

第一弾は怪魚。

第二弾はガリンペイロ(ゴールドの違法採掘者)。

第三弾は巨大猿。

 

正直、巨大猿まで見ていてあまり面白いとは感じなかったが、第四弾のイゾラドはそれまでの企画とは一線を画したものとなっており、最終章に添えるだけの濃密な内容だった。

 

文句無しに、面白い放送だった。

 

NHKがアマゾンを舞台にした企画はこれが初めてではなく、過去にもヤノマミ族の集落に150日間滞在して撮影したものもある。ディレクターは国分拓。この人が今回の大アマゾンをも手がけ、やはり異常な才の人だと、改めて感じた。

 

憶測だが、この文明未接触のイゾラドが最初の企画に上がり、他の怪魚、ガリンペイロ、巨大猿は付属で付いたものだと思う。そう思ってしまう程に、三弾までとは温度差が違う。

 

この温度差の理由は、単純に扱っているテーマの問題だ。

 

第一弾から三弾までは、シリアスなガリンペイロ回も含めて、どこかフェイクドキュメンタリーの様な「作り物感」がどことなくある。だからこそ、各回のテーマがふわふわしていて、最終章の様に見終わった後に残る胸のザワツキが無い。

 

最終章イゾラドにおけるテーマは、地球史における文明の転換点が背景にあり、それは紛れも無く、これまで何千何万年と繰り返されてきた『種の繁栄と衰退』である。

 

大アマゾンの最終章を見て「アマゾンって凄いねえ、まだ文明と接触してない人達がいるんだね〜」と大方はそんな感想を抱くだろう。その感想自体は間違ってはいないし、まさしくそうであるのだが、さらっと言葉に流せない重大な事柄があの50分間に詰まっている。

 

四万年前に遡る。

 

我々人類は当時二種存在していた。現在の系譜に繋がるホモサピエンスと、絶滅の道を辿ったネアンデルタール人。人類という種は幾つも存在していたが、ネアンデルタール人を最後に、ホモサピエンスという種だけが残り、ヒトへと進化した。絶滅の理由には諸説あるが、私は言語学者の説く喉の構造による言葉の隔壁によるものを信じている。

 

二千年前に遡る。

 

偉大なる神の出現により宗教が普及し、地球全体に住むヒトの物事の考えを統一し共有するツールを手に入れた。宗教の名の下に争いも平穏な世も繰り返しやってきた。そして自然、高度な文明が司る社会システムは近代史を濃密な時間へと加速させた。

 

今、インターネットという存在もそれに拍車を駆け、異常なスピードで世界の文明はまんべんなく統一されつつあり、残された文明未接触者(イゾラド)は既にファンタジーの様な存在だろう。特に日本に住む我々は、そうした存在がこの時代この地球上にいるのかと疑う程に、文明社会という当たり前になった世界に浸かったヒトの先端であろう。

 

第四弾イゾラドの作中でこんな言葉が流れた。

 

「あと二年もすればイゾラドは消える。」

 

私はこの衝撃的な言葉に息を呑んだ。どれだけのヒトがその言葉の裏側にある事実を読み取ったのだろう。イゾラドの消失は、地球史における完全なる種の転換であり、新たな時代の幕開けであり、ある時代の終幕である。

 

つまりは、経済社会の外側で生きたヒトの絶滅である。

 

彼らは幾星霜と受け継がれた大自然の中で生き延びる技術を身に付け、独自の死生観と彼らなりの文明社会を築き、その命のリレーを繋いできた存在だ。それが、ぽっかりとこの世から消えてしまう。

 

彼らの消失は、我々文明社会の完全なる繁栄を意味していて、それは、人類史も地球史も含めた史実の転機である。もっと言えば、この地球上から、戻る事も保存する事もできない社会システムが消えるのだ。良い悪いは別として、地球がまるごと経済社会に飲み込まれる、そのXデーが二年後に誰にも気付かれずに、ひっそりとやってくる。

 

ウディアレンの「ミッドナイトインパリ」の様に、誰しもが見つける黄金時代と誇大妄想、ロマンチシズムの象徴みたいな事を言ってるが、やはり、時代の消失、それを悲しく思う。

 

作中、私はイゾラドのヒトを見て、動物の様だと強く感じた。敵は殺すという価値観、作物を恵みに来る姿、言葉では通じない瞳の奥にある読み取れぬ感情。

 

後半、日本人の取材班はイゾラドと接触する。その対話、やりとりが、あまりにも衝撃的で、私は笑ってしまった。

 

自分も、自然と文明社会の先端として、彼らを見つめていた。それに気がつきハッとした。不気味な感覚が全身を襲った。言葉にしにくいその感覚は、旅の中で何回も味わった、ただの傍観者である事、ただひたすらに第三者である事、その咎める事の必要性も無い無意識下の罪悪感だった。

 

PS

 

イゾラドを見て、ある一冊の本を思い出した。

 

竹田武史という方が書いた「桃源郷の記〜中国バーシャ村の人々との10年〜」だった。